第20回 希望という名の贈り物
こんにちは!ケイ・ランゲージ・ラボ 長倉 圭井子です。
冬の寒さが急に厳しくなり、真冬のコートやセーターを出して着ていくようになりました。首まわりや手先がひんやりするので、マフラーや手袋も必需品になってきています。
今年を振り返ってみると、季節感を肌でこれほどひしひし感じることはなかったほどで、そのなかで例年になく多くの出会いがあり、実り多き一年でした。
特に世田谷区主催の女性起業家が集結して、はじめて三軒茶屋キャロット・タワーで「ブース出展」をしたのが印象に残っています。会場の皆の前で、自らのビジネス・プランをMicrosoft ©PowerPoint®2003 を使ってスクリーンに映しながらプレゼンテーションをばっちりきめて、充実感いっぱいの瞬間でした!
スライドは1晩でさっくり作ったのですが、場の雰囲気にもあっていたし、時間通り言いたいことも伝えられて、実に便利なソフトでした。観客で聴いていた方からアドバイスやアイデアを頂いたことで、今後の夢や希望をたくさん頂けました。本当に感謝しています!
ところで、私は小さい頃からのスポーツの趣味は「スケート」でして、最近こそ行かなくなっていますが、今でも一番好きです。でも普通の体育は大の苦手で、高校でもグラウンドを走っていると他の人より1周遅れになって、いつも見物客でいっぱいだったりするのですが、スケートは冬になるとよく通ったものでした。今はもうない後楽園のスケートリンクがホームリンクで、寒くなるとカップラーメンをすすりながら、毎年たっぷり滑って遊んでいました。
体格はとてもフィギュア向きではないものの、後楽園をホームリンクにして練習している選手たちを見たり、時には女子フィギュアの選手の個人レッスンのときに一緒にいてみたりして、氷の上を自在に跳んで舞うようなウキウキした気分を満喫できるのが、たまらなく快感でした。
この間、15歳の浅田真央選手がフィギュア・スケートGPで世界を相手に堂々の初優勝を遂げました。この滑りを生中継でみていて、完璧な滑りであっただけでなく「くるみ割り人形」の人形らしいかわいらしさが繊細に表現できていて、本当にかわいい!みんな最後に総立ちで拍手をしていましたが、私も家で一緒に思わず立ち上がって大騒ぎで拍手をしていました!
浅田選手ですが、残念ながら生まれたのが3ヶ月遅かったという理由で、トリノオリンピックに出場できないのだそうです。この氷の上での演技のかわいらしさの表現は、15歳の浅田選手だったからこそできるのであって、19歳であれば、また別の表現になると思います。そのときの旬の踊りの良さがあるので、規制のために皆が総立ちになるような氷の舞を、オリンピックという大舞台で見られないことについて、スケートファンとして、大変残念に思います。
それにしても、思いがけない形で、想い出に残るクリスマスプレゼントの舞を堪能できて、希望いっぱいの幸せな気分になっています。
最近は、東京・下町の墨田区に縁があっていくようになり、錦糸町でご飯を食べたりする機会が増えています。駅周辺には大きい道路が連なる繁華街があって、ぶるぶるっと震えるような寒さの夜もネオンがぴかぴか光っています。
その錦糸町で、最近、墨田区主催の夜間講演会に行って、墨田区を拠点にしている事業所の社長の方・2人の講演を聴いてきました。
なかでも、地元企業の浜野製作所の浜野 慶一社長のお話が、心の中での衝撃が尋常でないほど影響を受けました。「希望」の偉大な力を見せ付けられたように感じました。
浜野社長は、下町風情の色濃い墨田区八広に生まれ、地元の金属加工、板金加工の家内工場の家で育った、いわゆる2代目だそうです。墨田区の産業では金属・板金は有名ですので、そこまではごく普通なのですが、20代になった今の浜野社長がまだ修行中の工場の職人だった頃、他の工場に出て6年目ぐらいに先代社長が亡くなってしまいました。自分の家を継ぐ予定はあったとしても、まだ外へ見習いに出ている最中だったので、戻ってきてもわからないことだらけ。取引先についてはもとより、経理についても「帳簿って何?」という状況だったそうです。
先代社長がなくなって後を追うように現社長のお母さまがお亡くなりになり、後には、従業員2人、取引先4社、あとは自宅兼工場が残され、先代のノウハウを受け継がないまま、まさに手さぐりで家族経営を切り盛りしたそうです。
そこへ2000年6月30日(実は私の学校卒業が2000年で、誕生日が6月30日なのでそれも驚いたのですが)隣接する建物からのもらい火で、すべて全焼し、命は助かったものの、モノはすべて失くしてしまいました。
「マイナスからの出発」・・・茫然となり途方にくれたそうです。
しかしこの方は意志が強い、信念が強い、というべきか、どこか何かが違っていました。すぐさま貸し工場を借りる手続きをして、この従業員2人と一緒に、納期に間に合わせるべく必死で働いたそうです。
その後も火事の補償はとうとうなかったといいます。それでも恨み言ひとつ言わず、「短納期」「スピード」を追及し、試作品製作を重ねて、中小企業の現場の実情に即した産学連携が功を奏した結果、わずか5年間で、八広にそびえるピンク色の工場2拠点、従業員30数人、取引先は140社以上に事業拡大したそうです。
どうしてこのような成功が得られたのか、という秘訣を伺うと「まずは行動」ということで「動いて考える」ことを続けたからだ、といいます。
環境に恵まれてない云々、といっているような心持ちは甘えでしかないんだ、ということや、希望を持って動くことの力の大きさを証明しているような製作所だと思いました。
パワーがある起業家の方にお会いすると、何よりも瞳に強い力を感じます。
2時間ほどの短い間、お話を伺ったことで、私も希望と元気をもらえました。
来年も今よりがんばって、一歩一歩進んで動きたいと思っています。